MASAHIKO SATO
AYANO KUBOTA
JUNICHI HANAZUMI
KAZUHIKO AMANO
SHOKO MATSUOKA
理事・制作
佐 藤 正 彦
MASAHIKO SATO
Representative Director / Production
1963年 東京生まれ 須賀川育ち
県立安積高校卒業後、渡米。帰国後 ラジオ番組制作会社に入り首都圏のラジオ番組制作にかかわる。1995年に「ふくしまFM」開局のために福島県にもどり、のちフリーランスのラジオディレクターとなる。
福島県内のコミュニティーFMの立ち上げなどを経て震災後2012年、コミュニティラジオ局で番組を共に制作していた久保田彩乃と共に、「ヴォイス・オブ・フクシマ」を立ち上げる。
また、ミュージシャンとしても首都圏のライブハウスや福島県内を中心に活動中
*ご挨拶*
ヴォイス・オブ・フクシマの活動意図にご賛同くださった皆さま、本当にありがとうございます。私どもは福島県在住のメディアに携わる者として、この震災・原発事故で人々が何を考えどう行動したのかを後世にまで語り残していくことを使命としております。
ヴォイス・オブ・フクシマには、福島県民の未来への思いも込められています。
今後、一人でも多くの方の心に留まることを願い、制作を続けて参ります。
代表理事・制作・ナビゲーター
久 保 田 彩 乃
AYANO KUBOTA
Director・Production・Navigator
福島県郡山市在住。
県立安積女子高校の最後の卒業生。東京女子大学卒業後、秋田県の放送局でラジオカーのリポーターを務める。
2011年の東日本大震災を秋田市内の中継先で経験。同年7月、「自分にも何かできることがあるはず」と考え帰郷。以来、福島県内や関東でフリーのラジオパーソナリティ、テレビリポーターやイベントMCなどとして活動中。
テレビやラジオ番組の取材で県内各地を回る中で、震災・原発事故の被害や人々の感じ方が当然違うということに改めて気づく。その中で2012年、コミュニティラジオ局で番組を共に制作していた佐藤正彦と共に、「ヴォイス・オブ・フクシマ」を立ち上げ、制作・ナレーションなど担当。
*ご挨拶*
一口に「福島県民」と言えども、住む地域や生活環境などによって震災・原発事故の受け止め方はさまざまです。しかしそれは、どの問題においても、日本中または世界中で同じことが言えるのではないでしょうか。私たちは震災・原発事故を風化させないよう、県民の声を発信していきます。ヴォイス・オブ・フクシマに興味を持ったあなたには、「福島県民」とひとくくりにせずお聞きいただけたら幸いです。
理事
花 角 潤 一
JUNICHI HANAZUMI
Production
1966年1月生まれ。福島市出身。
父の仕事の関係で、福島市・会津若松市・相馬市・郡山市で幼年から少年時代をおくる。小学校1年生から3年生まで相馬市立桜ヶ丘小学校、4年~6年生まで福島大学教育学部附属小学校。県立福島高校では応援団に所属。
法政大学社会学部卒。大学時代は、アナウンス研究会プランナー部長を務める。
卒業後、「たくさんの人の素敵な思い出を作るお手伝いがしたい」と近畿日本ツーリスト(株)に就職。平成8年まで勤務。
現在、仙台市で議会の会議録や講演会、インタビュー記録などを手掛ける「株式会社東北議事録センター」代表取締役として活躍中。平成27年春に、東北弁・東北なまりの記録を作れる会社として多数のマスコミに取り上げられる。
震災後は、福島で被災された方々のインタビューの仕事が多く、聞くたびに当事者の苦しさを感じ、福島県に育てられた自分にできることはないかと思い、「ヴォイス・オブ・フクシマ」に参加。
現在、3人の娘のパパ。
junichi.hanazumi
監査
天 野 和 彦
KAZUHIKO AMANO
Auditor
1959年4月生まれ。
福島県会津若松市出身 福島県須賀川市在住 福島大学大学院地域政策科学研究科修了 現在、福島大学 人間発達文化学類 特任教授
一般社団法人 ふくしま連携復興センター代表理事
■略 歴
障害児教育を専門として15年間障害を持った子どもたちの 教育に携わる。1997年大玉村教育委員会に県より 派遣社会教育主事として配属。生涯学習総合振興計画の策 定など生涯学習の推進と成人式の改革など青年教育を中心に実践。派遣期間4年間の大玉時代を経て、2001年4月より、県教育庁生涯学習文化グルー プに所属して県内の学習網を構築するためのしくみ「県民カレッジ」の立ち上げ準備を3年間行う。2004年4月より、県男女共生センター。男女共同参画をより一層推進するためには実践的活動拠点機能を充実させることが重要ということから、関係機関、団体、個人の県内ネットワーク構築を手がける。2006年4月より、2008年10月開催の全国生涯学習フェスティバル(まなびピアふくしま2008)を担当した後、全県的な生涯学習の推進を図る一方、「福島こどものみらい映画祭」や子育て支援のWebコンテンツ「ふくしま親学チャンネル・ほっとHUG」を企画・制作。2011年3月11日に発災した東日本大震災においては、2500名を超える被災者を抱え県内最大規模といわれた「ビッグパレットふくしま避難所」の県庁運営支援チームの責任者として常駐し運営に携わり、その後も、「おだがいさまセンター」をモデルとして、仮設住宅・借り上げ住宅・県外避難の支援の仕組み構築と他市町村への水平展開に携わった。(元 おだがいさまセンター長 2014年3月まで)2012年4月より福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任准教授。2015年4月よりみんぷくネット(特定非営利活動法人3.11被災者を支援するいわき連絡協議会)総括。5月より福島大学うつくしまふくしま未来支援センター客員准教授。被災者の生活支援、コミュニティ形成、 要援護者サポート、ボランティア組織の連携、震災関連死などの調査・研究や現場での支援にあたっている。
■主な活動歴
・学会日本災害復興学会、日本社会教育学会
・委員等 避難所における良好な生活環境の確保に関する検討会委員(内閣府)2012「東日本大震災アーカイブ」利活用WG委員(総務省)2012 札幌市避難場所基本計画検討委員会委員(札幌市)2012
・著書等 「生きている生きてゆくービッグパレットふくしま避難所記2011」「震災からの教育復興2012生涯学習政策研究 −生涯学習をとらえなおす」「市民協働による教育行政2013」「福島大学の支援知をもとにしたテキスト災害復興支援学 2014」
jack.amano.12
理事
松 岡 章 子
SHOKO MATSUOKA
Production
東京下町生まれ
ジュエリーメーカーでデザインを学び20代でアクセサリーの輸入製造販売業を始めるが、経営がうまくいかず4年で閉店。借金を抱え大ピンチな状況をハッタリで何とか広告代理店に就職する。
化粧品メーカーや屋外広告制作などを経て、退職。
退職後はフリーランスで、レコード会社・食品メーカー・建築業界など、さまざまな業種の広告宣伝物の制作を経験する。
各地のボランティア活動等で自然や一次産業の大切さを実感し、2017年より森林の保全を行い間伐材を製剤加工販売まで行う事業を始と同時に、予てより
デザインまわりやイベントの手伝いなどをさせていただいていたヴォイス・オブ・フクシマの正式なメンバーになる。
現在は夫の実家である宮崎県の山あいの集落で自伐林家として生計を立てながら、自然農や地域活性につながる取り組みなどを行っている。
*ご挨拶*
流れ流れて宮崎まで来てしまいました。なかなか皆さんとお会いする機会はありませんが、1300キロ以上離れた場所からオンラインでがんばります。
一般社団法人
ヴォイス・オブフクシマ設立
2012年
フクシマの声を世界に発信していくため
インタビューを開始
仮設住宅などで歌声喫茶の開催を開始しました。コミュニケーションを深め、地域の魅力や人とのつながりを再確認し、新たなアイディアの提案につなげていきます
ラジオ番組制作を通して
自分の住む町や人をしってもらうことを目的にした企画です
2015年
ホームページ開設
2016年5月
ストリートラグビー体験活動取組開始
子供たちの運動不足解消と
地域コミュニティ形成を目標に
しています。
2016年3月
「3.11映画祭」を福島県須賀川の
「銀河のほとり」にて開催
映画を通じ意識や問いを共有し、身近な人たちと話すキッカケを作る事を目標としています。
ヴォイス・オブフクシマの
インタビューが150名を超えました。
それに応え2016年6月
ヴォイス・オブ・フクシマの活動が
朝日新聞各メディアに
取り上げられました。
2016年8月
ホームページをリニューアル